『水野塾』塾長
水野 隆徳
(みずの たかのり)


<謹賀新年>

令和元年は、明徳出版社より『安岡正篤先生の天皇
論・国家論』を刊行することが出来ました。『古事記』
『日本書紀』はじめさまざまな歴史書・天皇論を渉猟
し、改めて日本の悠久な歴史・文化の奥深さを知る機
会となりました。
今年は八十歳を迎え、『天子論及び官吏論』に挑戦したい
と思っております。
宜しくご指導・ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

             令和二年 元旦

<老いて輝く>


 私は毎晩寝る前に-大パリニッバーナ経-というお経を詠んでいます。これは『ブッダ最後の旅』として邦訳されていますが、ここにはお釈迦さまが亡くなる前の最後の旅路における出来事が詳しく記されています。これを読むと、お釈迦さまが八十歳にしてなお、修行僧や在家信者のために法を説き旅を続けられていた尊いお姿が鮮やかに浮んできます。お釈迦さまは老いてなお輝いておられました。私はそのお姿を描きながら人生の旅を歩んでいます。

<最後の言葉>

「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである』。怠ることなく修行を完成なさい」

 これが涅槃に入られる前のお釈迦さまの最後の言葉です。八十歳を前にした私の座右の銘です。

<人生最後の著作プロジェクト>

 七十六歳から始めた私の人生最後の著作プロジェクトは今年第四作目に入りました。新元号に相応した充実した内容にしようと考えています。


第一作 『安岡正篤先生と禅』


 七十年代後半に入り、自分の晩年を如何に生きるかーそれを真剣に模索する過程で閃いたのが「年一冊の本の出版」という人生最後の著作プロジェクトです。
 その第一作が『安岡正篤先生と禅』(明徳出版社)です。私は七十六歳の一年間、全精力をその執筆に傾注しました。全体で四百十ページ、関連する先生の殆どの著作や他の仏教書・禅書等にも目を通し完成させました。七十年代中ばになっても自分にはこのようなエネルギーが湧いてくるのかと改めて驚きました。

 安岡正篤先生は、東洋思想の碩学、或いは陽明学者として著名でありますが、多数の著作には仏教・禅に関する記述が数多く見られ、引用されている仏典・禅書も古代インドから中国、近代日本に至るまで驚くほど多岐にわたっています。又、先生には『禅と陽明学』『日本精神の研究』『日本精神通義』『光明蔵』など禅的・仏教の視点からも燦然と輝く著作があります。
 『安岡正篤先生と禅』は、その中から仏教と禅に焦点を当て安岡教学に新しい命を吹き込もうという試みです。
 特に、下記の点に注目して下さい。
 ・道元禅師・崇高なる自由
 ・親鸞上人・易行門と難行門
 ・達磨禅・慧能禅・百丈禅
 ・安岡先生と公案
 ・禅の悟りと王陽明の良知

第二作 『安岡正篤先生と親鸞』

 次いで七十七歳の一年間は安岡先生の著作の中から親鸞に着目。『安岡正篤先生と親鸞』の執筆に没頭しました。
 私は禅の修行者です。何故浄土真宗の親鸞に関心を持ったのか。
 安岡先生は著作の中で「念仏は易行門ではなく難行門である」との見解を示されています。一般的に仏教の解説書には
 ・禅は難行門・自力門
 ・念仏は易行門・他力門
 と記されています。禅修行者の私もそう思っていました。ところが安岡先生の見解は全く逆です。私はその論拠に感銘を受ける一方、それを世に問うことを思い立ちました。
 もう一つ私が関心を持ったのは、野間宏・服部之総・武田泰淳・三木清のような左翼思想家も三井甲之・蓑田胸喜のような右翼思想家も親鸞主義者だったことです。更に倉田百三・亀井勝一郎・吉川英治・丹羽文雄・五木寛之など親鸞に惹かれた思想家・小説家は数多くいます。
 親鸞の念仏・他力門はなぜかくも多くの人を引きつけるのか。
 『安岡正篤先生と親鸞』はこのテーマに取り組んでいます。

第三作 『安岡正篤先生の天皇論・国家論』

 七十八歳の一年間は、上皇さまのご譲位と改元・新天皇のご即位を視野に『安岡正篤先生の天皇論・国家論』の執筆に精力を注ぎました。
 明徳出版社より2019年12月に刊行しました。

 『安岡正篤先生の天皇論・国家論』の執筆にあたった一年間、私は自ら課した公案を拈提してきました。

・宇宙は何処から来て何処に往くのか-宇宙の去来。
・天皇・皇室は何処から来られて何処に往かれるのか-天皇・皇室の去来。
・自分は何処から来て何処に往くのか-自己の去来。

 これを統一的に証悟することが自らに課した公案でした。
 不思議なことにこれを証悟できたのは、新元号「令和」発表の瞬間でした。その時私は、静かに坐して感慨にふけりました。
 本書では、三つのテーマが取り扱われています。
 第一は、安岡先生が果たされた二つの大きな歴史的役割です。その一つは、「平成」の元号を公案されたこと、二つは、昭和天皇の「終戦詔書」を刪修されたことです。
 第二は、安岡先生の「大東亜戦争史観」です。開戦直後、国中が戦勝に沸き返る最中、先生はなぜ中国の古典を講じられたのか。戦局が急激に悪化する中、先生は国民にどのような覚悟を説かれたのか。金雞会例会での講義内容をもとに実証的に解説しています。
 第三は、本書の核心的部分で、『日本精神の研究』と『日本精神通義』をもとに、安岡先生の日本精神論と天皇・皇室論を解説しています。この二書は、安岡先生の著作の中でもきわめて難解な書で、その真髄を的確にお伝えできたか不安ですが、これまで誰れも取り扱ったことのない分野に敢えて挑戦してみました。

 本書では、日本の歴史を貫く日本精神、かむながらの道、万世一系の皇統・天徳を解説しています。
『東洋政治哲学』と『東洋倫理概論』については、「日本には易姓革命がない」「日本は王道国家である」という先生の卓見を記しています。先生の天皇・皇室論の核心です。
 このたび、新元号「令和」によって万葉の精神と日本の美しい自然、日本の本来の国柄が甦りました。これは、われわれ日本人が、『古事記』『日本書紀』の神話の世界に立ち返り、古代から連綿として続く我が国本来の古典・文化・思想・国家の歴史、ならびに日本人の心と精神の歴史をひもといてみる機会となっています。
「万世一系」の天皇制は、日本が世界に誇ることのできる至高・至尊の制度であり、一時的な世論や国民感情によって是非が問われるものであってはなりません。
 私個人としては、本書執筆の過程を通じて、これまで書棚に眠っていたさまざまな本を改めて通読し、また書店で目にとまった本を購入して、新たな知識を幅広く吸収する機会に恵まれました。
『日本精神通義』の解説書を書いてみたらとの声もいただいています。実に充実した七十八歳でした。


2020年には第四作『天子論及び官吏論」を執筆・完成させる予定です。

 松尾芭蕉は死の直前、去来が辞世の句をお願いしたのに対し、次のように語りました。
 「きのふの発句は今日の辞世。けふの発句は明日の辞世。われ生涯いひすてし句々一句として辞世ならざるはなし」
 七十代も中ばから、私は常にこの言葉を心に刻んで文章を綴っています。
 今執筆中の『天子論及び官吏論』も私の明日の辞世の書です。


<向嶽寺塔頭「真忠軒」への入寺>

 2015年私は、臨済宗大本山向嶽寺派管長の瑞松軒老大師様より塔頭・真忠軒への入寺という有難いお話を頂戴しました。山梨県甲州市にある塩の山の麓、静寂な環境の下で坐禅、読書、草木・竹の伐採、草取りと禅修行に励んでおります。中での生活は一室のみ、テレビ・ラジオもない至って素朴なもの、今風、方丈記です。
 今の私の心を示します。およそ八百年前臨済宗を宋から本朝にもたらした栄西禅師の言葉です。
 「大いなる哉心や。天の高き極むべからず。しかるに心は天の上に出づ。地の厚き測るべからず。しかるに心は地の下に出づ。日月の光は踰ゆべからず。しかるに心は日月光明の表に出づ。大千世界は窮むべからず。しかるに心は大千世界の外に出づ」
 私はここ真忠軒の宇宙空間の中で不思議な心の飛翔に浸っています。言葉・文章・アイディア構想がさざ波の如く、大きな波の如く、また雲の流れの如く、さらに樹々の間を吹き抜ける風の如く湧いてくるのです。これはいまだかつてなかった体験です。
 ここから何が生まれてくるか、目指すものはありますが結果は分りません。恐らく数年後になるでしょう。


<『水野塾』での講義>

 2018年の水野塾では、次の内容を講義しました。『安岡正篤先生の天皇・国家論』の序曲ともいうべきものです。

① 終戦詔書の刪修に込められた安岡先生の天皇像・国家像
② 安岡先生の大東亜戦争史観
③ 『日本精神の研究』の天皇論
④ 『日本精神道義』の天皇論
⑤ 光格天皇論

 2019年は、新しいお札の偉人として北里柴三郎について講義しています。『水野塾』で科学者を採り上げるのは初めてであり、塾長の私にとっても、塾生の皆さんにとっても新鮮な年になっています。
 続いて津田梅子、渋沢栄一と進んでゆきます。


<『ザ・ワールド』での講義>

 2019年は次のテーマについて講義しました。

(1)・新年度:相場の波乱要因
  ・消費税引き上げ前の日本経済
(2)・日本は景気後退局面に入ったか?
  ・トランプ相場は何時暗転する?
(3)・金利低下
  ・商品価格・金価格上昇
  ・ドル高・人民元安
  ・株資金の米国集中


<壺中天プチ文化サロンでの講義>

 テーマは国際情勢から政治・経済・文化・宗教など多岐にわたり内容もかなり高度ですが、毎回白熱したディスカッションが行われ充実した2~3時間を共にしています。
 サロンへの参加者は同じ時代を経験してきた同志のような存在で、内外の諸問題に対する関心が高く問題意識も鮮明ですのでお互いに啓発されています。
 女性多数のサロンです。


<沼津・三島での布教活動を始める>

 かねてより暖めていた構想ですが、少しずつ実現に向かっています。


<悠久の天皇陵を訪ねる>

 2018年12月、奈良・百舌鳥・高槻の天皇陵を訪ねるツアーに参加しました。神武・文武・崇神・景行・仁徳・応神・継体の七つの天皇陵です。まさに悠久の生命を感じる御陵でした。
 里塚古墳にも感動しました。『古事記』『日本書紀』を携行しながらのツアー参加で、『安岡正篤先生の天皇論・国家論』執筆にも魂が入りました。
 2019年には、京都の天皇陵を訪ねるツアーに参加、さらに『水野塾』の塾生ならびに希望者を募って大正天皇陵・昭和天皇陵を遥拝しました。これからも天皇陵遥拝を続けたいと思っています。




<経   歴> 
    
東京大学卒業後、富士銀行に入行。在職中はニューヨーク駐在シニア・エコノミストなどを歴任。
84年に独立。(社)金融財政事情研究会ニューヨーク事務所長等を経て国際エコノミストに転身。
ウォール街の事情や米国経済に精通し、英語で日米の経済・金融に切込む。
経済・国際金融関連のコンサルティング、執筆、講演など多方面で精力的に活動。
1986年に『ザ・ワールド』を設立。国内外の経済・金融情報を分析して独自の経済予測、株価、為替、金利の予測を提供している。
2002年に『水野塾』を設立。安岡正篤哲学と禅に基づいて政道、経営道、人道、マスコミ道を説く新境地を開拓している。

   
1940年 静岡県に臨済宗の円泉寺の長男として生まれる
1965年 東京大学教養学部卒業後、富士銀行に入行
企画部勤務、通産省石油開発公団へ出向の後、調査部シニア・エコノミストとしてニューヨーク駐在
「ウォール・ストリート・ジャーナル」「ビジネス・ウィーク」「ニューヨーク・タイムズ」等に、日本経済や産業、金融問題への見解が掲載される
1984年 独立。国際問題研究開発センター主任研究員(~1958年)
1985年 静岡県沼津市で『TIME』(タイム)の会を設立(~1956年)
1986年 ・(有)クオリティ・コンサルティングを設立
国際経済・金融を専門とする国際エコノミストとして活躍
・白隠宗総本山松蔭寺の中島玄奘老師に弟子入り
・沼津市と天竜市で『THE WORLD』(ザ・ワールド)の会を主宰
1989年 (社)金融財政事情研究会のニューヨーク事務所長(初代)(1989年4月~1991年)
1991年 みちのく銀行顧問 (1991~2004年)
1994年 清水銀行社外監査役、顧問 (1986~2004年)
2001年 ・(社)郷学研修所・安岡記念館にて安岡哲学の本格的研究を始める
・臨済宗大本山向嶽寺の瑞松軒宮本大峰老大師の下で禅の本格的修業を始める
・赤根祥道氏の『赤根塾』を引き継ぎ講義を始める
2002年 ・東京で『水野塾』設立。一燈照隅・万燈照国の運動に乗り出す
・沼津、三島、大阪、名古屋に『水野塾』設立(沼津のみ現在に至る)
・『マスコミから盗作をなくす会』の設立を企画
2003年 ・新しい経営者像の会(AKK)幹事
・インベスター&エグゼクティブ・ネットワーク 世話人
2004年 ・(社)郷学研修所・安岡記念館評議委員(~2013年3月)
・富士常葉大学副学長・教授
2005年 ・富士常葉大学 学長・教授(2005年4月~2007年3月)
(学)常葉学園理事(2005年5月~2007年3月)
2006年 富士山クラブ 理事
2007年 ・仏教経済学・仏教経営倫理学の構築に着手
・花園大学『禅学研究會』 入会
・『鈴木正三研究会』入会
・『小川山岡鉄舟会』入会
2008年 ・(株)アイエスエイ学校経営コンサルティング部顧問(2008年4月~2009年3月)
・(株)アイエスエイ監査役(2008年1月~)
・『武士道研究会』入会
2009年 (学)奈良学園 理事(2009年4月~2013年3月)
2013年 ・(公益財団法人)郷学研修所・安岡正篤記念館理事(2013年4月~)
・(公益社団法人)『自彊術普及会』入会
2014年 ・三島市の委嘱により『三島若者元気塾』塾長に就任(2014年4月~)
・三島に『壺中天ぷち文化サロン』設立
・臨済宗大本山向嶽寺の塔頭・真忠軒へ入寺
 


八十才にして人生最も輝く

私も人生の節目・節目において、中国や日本の聖人・賢人の言葉を意識する年になってきました。又、人生の終末を意識するようになってきました。

孔子に有名な次の言葉があります。

「十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」

私は孔子の境涯にはとても達しておりませんが、蘧伯玉の次の言葉を心に銘じて60年代を生きてきました。

「行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化す」

私の目標は「八十才にして人生最も輝く」です。